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    <title>大河内メンタルクリニック院長ブログ　折り折りのこと</title>
    <link>https://ookouchi.seesaa.net/</link>
    <description>精神に起因するもろもろの病いは、その人の人生が強いられた山登りになっているからと、比喩的に要約できるように思います。この比喩でいえば、人生という山は無限性の性格を持っています。山登りを、強いられてする人はいないと思います。それは楽しみ、喜びがなく、苦痛なばかりで、虚しい試みだからです。人生という山登りは、してもしなくても自由というわけにはいきません。それはしなければならないものですが、自分の意志に基づかせるのでなければ、耐え難いものになるに違いありません。そういうことを念頭に、「山岳ガイドの弁」というサブタイトルの下に、ひごろの思いを述べてみたいと思っています。</description>
    <language>ja</language>
    <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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    <itunes:summary>精神に起因するもろもろの病いは、その人の人生が強いられた山登りになっているからと、比喩的に要約できるように思います。 この比喩でいえば、人生という山は無限性の性格を持っています。 山登りを、強いられてする人はいないと思います。それは楽しみ、喜びがなく、苦痛なばかりで、虚しい試みだからです。 人生という山登りは、してもしなくても自由というわけにはいきません。 それはしなければならないものですが、自分の意志に基づかせるのでなければ、耐え難いものになるに違いありません。 そういうことを念頭に、「山岳ガイドの弁」というサブタイトルの下に、ひごろの思いを述べてみたいと思っています。</itunes:summary>
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    <itunes:author>院長先生</itunes:author>
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      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/512011213.html</link>
      <title>         私の生きざま　15</title>
      <pubDate>Tue, 18 Mar 2025 20:34:25 +0900</pubDate>
            <description>ひとは孤独を嫌う。そうした風潮があるので、世間一般は「明るい性格」を好む。その「明るい性格」の造形者は自我の外向性である。一方で、自我には内向性がある。誰の自我であれ、そのどちらか一つ、ではなく、外向性と内向性とが備えられている。自我を産み出したのは、いうならば宇宙なので（自我は人間のシンボルである、といわれている）、その創造者に敢えて名前をつければ、神さまということになる。そうしたことを前提にすれば、外向性と内向性のどちらがいいのか、といった想いは、無意味、無益である。そも..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
ひとは孤独を嫌う。
そうした風潮があるので、世間一般は「明るい性格」を好む。
その「明るい性格」の造形者は自我の外向性である。
一方で、自我には内向性がある。
誰の自我であれ、そのどちらか一つ、ではなく、外向性と内向性とが備えられている。
自我を産み出したのは、いうならば宇宙なので（自我は人間のシンボルである、といわれている）、その創造者に敢えて名前をつければ、神さまということになる。
そうしたことを前提にすれば、外向性と内向性のどちらがいいのか、といった想いは、無意味、無益である。
そもそも、どちらがいいのか、といった問題ではないのは云うまでもない。
だが、現実には、内向性のひとが外向性の明るさに憧れる、といったことは、むしろ普通にある。
何故か？
ひとは社会的存在だからである。
社会では、明るい性格が好まれる。
その場合には、あちらこちらに、仲の良いひとの集まりがある。
それは、それで大事なことであるだろうが、それを前提にすると、内向性のひとはどうすればいいのか？
最悪なのは、「外向型に憧れる内向型」である。
そのことへのヒントを、宗教家の故・鈴木　大拙師が語っている。
師は次のように云う。
「相対的世界では、どこを向いても喧嘩ばかり・・・。私が勧めたいのは日常生活の芸術家であれ」
師が云う意味での芸術家とは、自我の内向性に注意が向けられている。
その一例は料理である。
想いが屈したときに、台所に行って、何か一品を造ると、こころが晴れていくのではないだろうか？

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
ひとは孤独を嫌う。<br />そうした風潮があるので、世間一般は「明るい性格」を好む。<br />その「明るい性格」の造形者は自我の外向性である。<br />一方で、自我には内向性がある。<br />誰の自我であれ、そのどちらか一つ、ではなく、外向性と内向性とが備えられている。<br />自我を産み出したのは、いうならば宇宙なので（自我は人間のシンボルである、といわれている）、その創造者に敢えて名前をつければ、神さまということになる。<br />そうしたことを前提にすれば、外向性と内向性のどちらがいいのか、といった想いは、無意味、無益である。<br />そもそも、どちらがいいのか、といった問題ではないのは云うまでもない。<br />だが、現実には、内向性のひとが外向性の明るさに憧れる、といったことは、むしろ普通にある。<br />何故か？<br />ひとは社会的存在だからである。<br />社会では、明るい性格が好まれる。<br />その場合には、あちらこちらに、仲の良いひとの集まりがある。<br />それは、それで大事なことであるだろうが、それを前提にすると、内向性のひとはどうすればいいのか？<br />最悪なのは、「外向型に憧れる内向型」である。<br />そのことへのヒントを、宗教家の故・鈴木　大拙師が語っている。<br />師は次のように云う。<br />「相対的世界では、どこを向いても喧嘩ばかり・・・。私が勧めたいのは日常生活の芸術家であれ」<br />師が云う意味での芸術家とは、自我の内向性に注意が向けられている。<br />その一例は料理である。<br />想いが屈したときに、台所に行って、何か一品を造ると、こころが晴れていくのではないだろうか？<br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/512011141.html</link>
      <title>           私の生きざま　14</title>
      <pubDate>Tue, 18 Mar 2025 20:26:16 +0900</pubDate>
            <description>「’私‘が生きている証は何か？」、と自問することがある。そうした自問、問いかけは、無意識界から送られてくる。それに対して答えるのは自我であるが、無意識界は「全てを知っている」ので、自我の答えは、さまざまに揺れる。だから、正確な答え、といったものはない。それが前提であるのだが、「私」が生きていることに私は責任を持たなければならないので答えないわけにはいかない。そうした答えは一様ではないのが当然であるけれども、差し当たりこころに浮かんで来るのは、「行為すること」である。行動は主に..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
「’私‘が生きている証は何か？」、と自問することがある。
そうした自問、問いかけは、無意識界から送られてくる。
それに対して答えるのは自我であるが、無意識界は「全てを知っている」ので、自我の答えは、さまざまに揺れる。
だから、正確な答え、といったものはない。
それが前提であるのだが、「私」が生きていることに私は責任を持たなければならないので答えないわけにはいかない。
そうした答えは一様ではないのが当然であるけれども、差し当たりこころに浮かんで来るのは、「行為すること」である。
行動は主に身体の動きであるけれども、行為となれば、大きく云えば、「私の人生」につながる問題である。
その背景には、「自分の責任において」という要が入っている。
更に云えば、神の問に対する「私の答え」といった側面がある。
無意識界という無限界は、「私」の自我が絶対の拠り所にしているので、その絶対者の意向の範疇になければならない。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
「’私‘が生きている証は何か？」、と自問することがある。<br />そうした自問、問いかけは、無意識界から送られてくる。<br />それに対して答えるのは自我であるが、無意識界は「全てを知っている」ので、自我の答えは、さまざまに揺れる。<br />だから、正確な答え、といったものはない。<br />それが前提であるのだが、「私」が生きていることに私は責任を持たなければならないので答えないわけにはいかない。<br />そうした答えは一様ではないのが当然であるけれども、差し当たりこころに浮かんで来るのは、「行為すること」である。<br />行動は主に身体の動きであるけれども、行為となれば、大きく云えば、「私の人生」につながる問題である。<br />その背景には、「自分の責任において」という要が入っている。<br />更に云えば、神の問に対する「私の答え」といった側面がある。<br />無意識界という無限界は、「私」の自我が絶対の拠り所にしているので、その絶対者の意向の範疇になければならない。<br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/512011141</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/505100287.html</link>
      <title>        私の生きざま　13</title>
      <pubDate>Mon, 07 Oct 2024 20:26:44 +0900</pubDate>
            <description>ジムでの練習は、水曜日の夕方、一時間である。代表さんの指導で、器具を使っての筋トレから始まる。つづいて柔道、それが終わると総合格闘技を、代表さんを相手に行う。その後は、両手合わせて20kgのダンベルを持ってのランジウオーク、ついで、同じダンベルを持ってのスクワット20回を行う。最後に懸垂を行い、それで終了になる。私の場合は個人レッスンだが、それが終わったあと、集団での練習にひとが集まってくる。10人ほどの中に、女性も2,3人、混じっている。すべてのスケジュールが終わって一息つ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
ジムでの練習は、水曜日の夕方、一時間である。
代表さんの指導で、器具を使っての筋トレから始まる。
つづいて柔道、それが終わると総合格闘技を、代表さんを相手に行う。
その後は、両手合わせて20kgのダンベルを持ってのランジウオーク、ついで、同じダンベルを持ってのスクワット20回を行う。最後に懸垂を行い、それで終了になる。
私の場合は個人レッスンだが、それが終わったあと、集団での練習にひとが集まってくる。
10人ほどの中に、女性も2,3人、混じっている。
すべてのスケジュールが終わって一息ついているとき、代表さんにいわれた。
「年は84でしたっけ」と。
「11月がくると85になります。この歳でこういうことが出来ているのが不思議に思うことがあります」というと、代表さんが、「仕事もね」という。
「90歳ぐらいまではいけそうに思います」というと、代表さんは、黙って頷いていた。
練習が終わって家路につくとき、心地よい解放感がある。
週に五日、仕事でそれなりに頭を使い、週に一日、身体の鍛錬をしている。そして、何も予定がない日曜日は解放感がある。
日常生活は充実感があるが、そういう中で、折に触れて思うのは、人生に
は終わりがあることである。
どんな生き方をしようが、死が、その全てを消去する。
いつであったか、ある患者さんが云っていた。
「人間はどうせ死ぬんでしょ？　だったら、こんなメンドクサイ人生に、さっさとケリをつけて何が悪いの？」と。
彼のその言葉は、私の心に突き刺さったままである。
その言葉の矢を抜き取るには、どういう答えがあるのだろうか？
一般論としての答えは、たぶん、ない。
だから、私がどう考えるのかが、課題である。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
ジムでの練習は、水曜日の夕方、一時間である。<br />代表さんの指導で、器具を使っての筋トレから始まる。<br />つづいて柔道、それが終わると総合格闘技を、代表さんを相手に行う。<br />その後は、両手合わせて20kgのダンベルを持ってのランジウオーク、ついで、同じダンベルを持ってのスクワット20回を行う。最後に懸垂を行い、それで終了になる。<br />私の場合は個人レッスンだが、それが終わったあと、集団での練習にひとが集まってくる。<br />10人ほどの中に、女性も2,3人、混じっている。<br />すべてのスケジュールが終わって一息ついているとき、代表さんにいわれた。<br />「年は84でしたっけ」と。<br />「11月がくると85になります。この歳でこういうことが出来ているのが不思議に思うことがあります」というと、代表さんが、「仕事もね」という。<br />「90歳ぐらいまではいけそうに思います」というと、代表さんは、黙って頷いていた。<br />練習が終わって家路につくとき、心地よい解放感がある。<br />週に五日、仕事でそれなりに頭を使い、週に一日、身体の鍛錬をしている。そして、何も予定がない日曜日は解放感がある。<br />日常生活は充実感があるが、そういう中で、折に触れて思うのは、人生に<br />は終わりがあることである。<br />どんな生き方をしようが、死が、その全てを消去する。<br />いつであったか、ある患者さんが云っていた。<br />「人間はどうせ死ぬんでしょ？　だったら、こんなメンドクサイ人生に、さっさとケリをつけて何が悪いの？」と。<br />彼のその言葉は、私の心に突き刺さったままである。<br />その言葉の矢を抜き取るには、どういう答えがあるのだろうか？<br />一般論としての答えは、たぶん、ない。<br />だから、私がどう考えるのかが、課題である。<br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
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      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/503691234.html</link>
      <title>　　愚考録 2　蜘蛛と人間  2</title>
      <pubDate>Tue, 18 Jun 2024 19:43:28 +0900</pubDate>
            <description>蜘蛛に立場があるのか、というひとも居るに違いない.私は想う。現に存在しているものに立場が無いわけはない、と。意味が分からない、と、あるひとが云う。私は想っていることを口にした。蜘蛛は私のこころの中に居る、と。「何を云いたい？」と、そのひとは、更に云う。蜘蛛は、私が意識するかぎりで存在する、と答えた。分からない、と、そのひとは云う。私は想った。わかる人にしか分からない、それが人間の問題だ、と。</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
蜘蛛に立場があるのか、というひとも居るに違いない.
私は想う。
現に存在しているものに立場が無いわけはない、と。
意味が分からない、と、あるひとが云う。
私は想っていることを口にした。
蜘蛛は私のこころの中に居る、と。
「何を云いたい？」と、そのひとは、更に云う。
蜘蛛は、私が意識するかぎりで存在する、と答えた。
分からない、と、そのひとは云う。
私は想った。
わかる人にしか分からない、それが人間の問題だ、と。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
蜘蛛に立場があるのか、というひとも居るに違いない.<br />私は想う。<br />現に存在しているものに立場が無いわけはない、と。<br />意味が分からない、と、あるひとが云う。<br />私は想っていることを口にした。<br />蜘蛛は私のこころの中に居る、と。<br />「何を云いたい？」と、そのひとは、更に云う。<br />蜘蛛は、私が意識するかぎりで存在する、と答えた。<br />分からない、と、そのひとは云う。<br />私は想った。<br />わかる人にしか分からない、それが人間の問題だ、と。<br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/503691234</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/503691228.html</link>
      <title>　　愚考録 1　蜘蛛と人間１</title>
      <pubDate>Tue, 18 Jun 2024 19:42:22 +0900</pubDate>
            <description>「家の軒先にかかった蜘蛛の巣を払ったものかどうか迷っている、どう思うか」、と訊かれたことがある。その人、Aさんは、蜘蛛の折角の仕事を、人間のつごうで台無しにしてよいものだろうか、それは人間の驕りではないだろうかと考えていた。これは、解き難い矛盾をはらんだ難問のように見える。蜘蛛の仕事を尊重すると、蜘蛛の巣だらけの家になる。近所のひとに奇異の眼で見られるだろう。気味悪がられて、誰も近づかなくなるに違いない。だから、ほとんどの人は、蜘蛛を払い取るだろう。私もそうしている。だが、確..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
「家の軒先にかかった蜘蛛の巣を払ったものかどうか迷っている、どう思うか」、と訊かれたことがある。
その人、Aさんは、蜘蛛の折角の仕事を、人間のつごうで台無しにしてよいものだろうか、それは人間の驕りではないだろうかと考えていた。
これは、解き難い矛盾をはらんだ難問のように見える。
蜘蛛の仕事を尊重すると、蜘蛛の巣だらけの家になる。
近所のひとに奇異の眼で見られるだろう。
気味悪がられて、誰も近づかなくなるに違いない。
だから、ほとんどの人は、蜘蛛を払い取るだろう。
私もそうしている。
だが、確かに蜘蛛にも立場がある。
たかが蜘蛛をと思うだろうが、蜘蛛にも立ち場がある。
そうした想いは「囚われている」のか、「判断している」のかが分かれ目である。
私はそう想う。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
「家の軒先にかかった蜘蛛の巣を払ったものかどうか迷っている、どう思うか」、と訊かれたことがある。<br />その人、Aさんは、蜘蛛の折角の仕事を、人間のつごうで台無しにしてよいものだろうか、それは人間の驕りではないだろうかと考えていた。<br />これは、解き難い矛盾をはらんだ難問のように見える。<br />蜘蛛の仕事を尊重すると、蜘蛛の巣だらけの家になる。<br />近所のひとに奇異の眼で見られるだろう。<br />気味悪がられて、誰も近づかなくなるに違いない。<br />だから、ほとんどの人は、蜘蛛を払い取るだろう。<br />私もそうしている。<br />だが、確かに蜘蛛にも立場がある。<br />たかが蜘蛛をと思うだろうが、蜘蛛にも立ち場がある。<br />そうした想いは「囚われている」のか、「判断している」のかが分かれ目である。<br />私はそう想う。<br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/503691228</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/503690965.html</link>
      <title>私の生きざま　12</title>
      <pubDate>Tue, 18 Jun 2024 19:16:05 +0900</pubDate>
            <description>24.6.16（日曜日）、ジムで「スパーリング大会」と銘打った催しものがあった。ジム開設10周年を記念したものでもあった。私が入門したのも10年前になる。　会場に向かうために、大船駅で電車に乗り込んだ。すぐに、高校生と思われる若い女性が席を立って、「どうぞ」といってくれた。予想していなかったので、とっさに、「大丈夫です」といっていた。そして、意外な感じがしていた。自分では若いつもりだったからである。ひとには年寄りに見えるんだ、と思った。ジムに着いた。ひとが大勢、居た。準備運動..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
24.6.16（日曜日）、ジムで「スパーリング大会」と銘打った催しものがあった。
ジム開設10周年を記念したものでもあった。
私が入門したのも10年前になる。　
会場に向かうために、大船駅で電車に乗り込んだ。
すぐに、高校生と思われる若い女性が席を立って、「どうぞ」といってくれた。
予想していなかったので、とっさに、「大丈夫です」といっていた。
そして、意外な感じがしていた。
自分では若いつもりだったからである。
ひとには年寄りに見えるんだ、と思った。
ジムに着いた。
ひとが大勢、居た。
準備運動に余念がないひとも居た。
私の出番は最終組だった。
相手については、ふだんお世話になっている代表さんから、誰かプロの選手を探す、と聞いていた。
大会の前の週になって、「ミスターXといっておこうか」といわれていた。
当日、ジムに着いたとき、「外人さんが居るな」と思った。
まさか、私の対戦相手であるとは思わなかった。
ふたを開けてみると、意外にも、その外人さんは私の対戦相手だった。
実際に対面すると、ミスターXは私よりも大柄だった。
相手が先にパンチを出してきた。
それに応戦するジャブを放ちながら、様子をうかがった。
ひとしきり、パンチの応酬があり、隙をみて足を絡ませた。
床に倒れた相手をそのまま抑え込んだ。
やがて、審判を務めている代表さんが、「一本！」、と声を上げた。
決まり技は「腕ひしぎ手固め」だった。
3,4分の応酬だった。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
24.6.16（日曜日）、ジムで「スパーリング大会」と銘打った催しものがあった。<br />ジム開設10周年を記念したものでもあった。<br />私が入門したのも10年前になる。　<br />会場に向かうために、大船駅で電車に乗り込んだ。<br />すぐに、高校生と思われる若い女性が席を立って、「どうぞ」といってくれた。<br />予想していなかったので、とっさに、「大丈夫です」といっていた。<br />そして、意外な感じがしていた。<br />自分では若いつもりだったからである。<br />ひとには年寄りに見えるんだ、と思った。<br />ジムに着いた。<br />ひとが大勢、居た。<br />準備運動に余念がないひとも居た。<br />私の出番は最終組だった。<br />相手については、ふだんお世話になっている代表さんから、誰かプロの選手を探す、と聞いていた。<br />大会の前の週になって、「ミスターXといっておこうか」といわれていた。<br />当日、ジムに着いたとき、「外人さんが居るな」と思った。<br />まさか、私の対戦相手であるとは思わなかった。<br />ふたを開けてみると、意外にも、その外人さんは私の対戦相手だった。<br />実際に対面すると、ミスターXは私よりも大柄だった。<br />相手が先にパンチを出してきた。<br />それに応戦するジャブを放ちながら、様子をうかがった。<br />ひとしきり、パンチの応酬があり、隙をみて足を絡ませた。<br />床に倒れた相手をそのまま抑え込んだ。<br />やがて、審判を務めている代表さんが、「一本！」、と声を上げた。<br />決まり技は「腕ひしぎ手固め」だった。<br />3,4分の応酬だった。<br /><a name="more"></a>

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            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/503690965</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/503175063.html</link>
      <title>         私の生きざま　11</title>
      <pubDate>Tue, 30 Apr 2024 23:33:59 +0900</pubDate>
            <description>私にも秘かな自慢話がある。2014年の4月から、キックボクシングの個人レッスンを受けている。先生は総合格闘技の元世界チャンピオンである。週に一度、小一時間かけてジムに通って、その先生とスパーリングをしている。それに加えて、2021年の3月から柔道も教わっている。先生は大学まで柔道もしていたと聞いていたので、お願いしてそうなった。格闘技への関心はなぜか強い。こころに潜んでいる不安がなせる業かと思う。それは、心内に潜んでいる完全欲の表れでもあるだろうと思っている。そのように気がつ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
私にも秘かな自慢話がある。
2014年の4月から、キックボクシングの個人レッスンを受けている。
先生は総合格闘技の元世界チャンピオンである。
週に一度、小一時間かけてジムに通って、その先生とスパーリングをしている。
それに加えて、2021年の3月から柔道も教わっている。
先生は大学まで柔道もしていたと聞いていたので、お願いしてそうなった。
格闘技への関心はなぜか強い。
こころに潜んでいる不安がなせる業かと思う。
それは、心内に潜んでいる完全欲の表れでもあるだろうと思っている。
そのように気がついてみると、自分の行動の幼さを自分で判別できるようになっている。
ジム通いが10年にわたって続いたのは、それが、余暇の楽しみだったからであるが、そのあおりで、体力と気力とがついていると実感している。
<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
私にも秘かな自慢話がある。<br />2014年の4月から、キックボクシングの個人レッスンを受けている。<br />先生は総合格闘技の元世界チャンピオンである。<br />週に一度、小一時間かけてジムに通って、その先生とスパーリングをしている。<br />それに加えて、2021年の3月から柔道も教わっている。<br />先生は大学まで柔道もしていたと聞いていたので、お願いしてそうなった。<br />格闘技への関心はなぜか強い。<br />こころに潜んでいる不安がなせる業かと思う。<br />それは、心内に潜んでいる完全欲の表れでもあるだろうと思っている。<br />そのように気がついてみると、自分の行動の幼さを自分で判別できるようになっている。<br />ジム通いが10年にわたって続いたのは、それが、余暇の楽しみだったからであるが、そのあおりで、体力と気力とがついていると実感している。<br /><a name="more"></a>

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            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/503175063</guid>
                </item>
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      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/503175036.html</link>
      <title>        私の生きざま　10</title>
      <pubDate>Tue, 30 Apr 2024 23:30:14 +0900</pubDate>
            <description>医療刑務所に在籍していたころ、「キミの野心はどこにあるのかね」と、ある教授に訊かれた。そのときに何と答えたかは覚えていないが、「地位よりも立場です」といいたいところである。立場というのは、「私」という自己の存在が、この不可解な世界に立ち位置を定める、といったことである。それは他者に認められる自己の姿、社会的自己とは異なる。いうならば、「私」という自己の存在、自我に拠る社会的存在としての私が、自我の生殺与奪の権を握っていると信じられる無意識界にある「真の主体」に認められる、とい..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
医療刑務所に在籍していたころ、「キミの野心はどこにあるのかね」と、ある教授に訊かれた。
そのときに何と答えたかは覚えていないが、「地位よりも立場です」といいたいところである。
立場というのは、「私」という自己の存在が、この不可解な世界に立ち位置を定める、といったことである。
それは他者に認められる自己の姿、社会的自己とは異なる。
いうならば、「私」という自己の存在、自我に拠る社会的存在としての私が、自我の生殺与奪の権を握っていると信じられる無意識界にある「真の主体」に認められる、といったことである。
野心といえば、そうした想いが浮かんでくる。
思えば、これまでの人生の軌跡を振り返ると、意識はしないままでの「自分探し」の途だったと気づかされる。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
医療刑務所に在籍していたころ、「キミの野心はどこにあるのかね」と、ある教授に訊かれた。<br />そのときに何と答えたかは覚えていないが、「地位よりも立場です」といいたいところである。<br />立場というのは、「私」という自己の存在が、この不可解な世界に立ち位置を定める、といったことである。<br />それは他者に認められる自己の姿、社会的自己とは異なる。<br />いうならば、「私」という自己の存在、自我に拠る社会的存在としての私が、自我の生殺与奪の権を握っていると信じられる無意識界にある「真の主体」に認められる、といったことである。<br />野心といえば、そうした想いが浮かんでくる。<br />思えば、これまでの人生の軌跡を振り返ると、意識はしないままでの「自分探し」の途だったと気づかされる。<br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/503175018.html</link>
      <title>        私の生きざま　9</title>
      <pubDate>Tue, 30 Apr 2024 23:28:07 +0900</pubDate>
            <description>開業医という身分は、なってみるとこの上もないものだった。勤務医とは違って、誰に気を遣うこともなかった。すべてが自由に感じられた。生活の全般にわたって、他者に対して主体的でいられることを如実に体験できた。開放感があった。ここで経験した特異な問題がふたつ思い出される。開業して間もなく、未知の男性から電話があった。電話に出ると、「医療刑務所に居たそうですが、・・・」といきなりいわれた。藪から棒のぶしつけな詰問だった。他に精神科医は居るのか、内科なども診るのか、などと訊かれた。未知の..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
開業医という身分は、なってみるとこの上もないものだった。
勤務医とは違って、誰に気を遣うこともなかった。
すべてが自由に感じられた。
生活の全般にわたって、他者に対して主体的でいられることを如実に体験できた。
開放感があった。
ここで経験した特異な問題がふたつ思い出される。
開業して間もなく、未知の男性から電話があった。
電話に出ると、「医療刑務所に居たそうですが、・・・」といきなりいわれた。
藪から棒のぶしつけな詰問だった。
他に精神科医は居るのか、内科なども診るのか、などと訊かれた。
未知の者にそうしたことを訊かれるいわれはなかった。
だが、腹を立てるわけにはいかなかった。
開業医は、勤務医と違って、自分以外に身を護る手立てがない。
自由であることは、自分で自分の身を護ることでもある。
また、私自身も、「刑務所の医者」ということへの「偏見」が世の中にあることを知ってもいた。
罪を犯した者は、一般の人間と同列に扱うわけにはいかない。そういう想いが世間にはある。
私も、それは理解している。
私が医療刑務所に入れていただきたいと思った理由は、職を得ることのほかに、罪を犯した人びとへの関心があったからでもある。
社会的立場が危うくなっている人びとの問題は、私には人ごととは思えなかった。
自分を振り返ると、私自身が社会的立場という意味では怪しげなところがあった。
それを認めつつ、開業医という不安定な身分をヨシとしていた。
罪を犯した人びとは、社会的立場から墜ちた人びとである。
「裏社会」を生きる羽目になっている人びとである。
その「裏のこころ」自体は、無論、誰にでもある。
それを踏まえて「表のこころ」を、我われ一般は生きている。
私自身が、そういう世界に墜ちるとは思っていなかったが、無縁とはいえなかった。
そういう気持ちを持っているので、こころの陥穽に墜ちた人びとが他人事とは思えなかった。
冒頭の無礼な男は、自分を知らない愚か者でもあった。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
開業医という身分は、なってみるとこの上もないものだった。<br />勤務医とは違って、誰に気を遣うこともなかった。<br />すべてが自由に感じられた。<br />生活の全般にわたって、他者に対して主体的でいられることを如実に体験できた。<br />開放感があった。<br />ここで経験した特異な問題がふたつ思い出される。<br />開業して間もなく、未知の男性から電話があった。<br />電話に出ると、「医療刑務所に居たそうですが、・・・」といきなりいわれた。<br />藪から棒のぶしつけな詰問だった。<br />他に精神科医は居るのか、内科なども診るのか、などと訊かれた。<br />未知の者にそうしたことを訊かれるいわれはなかった。<br />だが、腹を立てるわけにはいかなかった。<br />開業医は、勤務医と違って、自分以外に身を護る手立てがない。<br />自由であることは、自分で自分の身を護ることでもある。<br />また、私自身も、「刑務所の医者」ということへの「偏見」が世の中にあることを知ってもいた。<br />罪を犯した者は、一般の人間と同列に扱うわけにはいかない。そういう想いが世間にはある。<br />私も、それは理解している。<br />私が医療刑務所に入れていただきたいと思った理由は、職を得ることのほかに、罪を犯した人びとへの関心があったからでもある。<br />社会的立場が危うくなっている人びとの問題は、私には人ごととは思えなかった。<br />自分を振り返ると、私自身が社会的立場という意味では怪しげなところがあった。<br />それを認めつつ、開業医という不安定な身分をヨシとしていた。<br />罪を犯した人びとは、社会的立場から墜ちた人びとである。<br />「裏社会」を生きる羽目になっている人びとである。<br />その「裏のこころ」自体は、無論、誰にでもある。<br />それを踏まえて「表のこころ」を、我われ一般は生きている。<br />私自身が、そういう世界に墜ちるとは思っていなかったが、無縁とはいえなかった。<br />そういう気持ちを持っているので、こころの陥穽に墜ちた人びとが他人事とは思えなかった。<br />冒頭の無礼な男は、自分を知らない愚か者でもあった。<br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
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            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
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      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/502761712.html</link>
      <title>           私の生きざま　8</title>
      <pubDate>Sat, 23 Mar 2024 20:24:32 +0900</pubDate>
            <description>行き場を失って、医療刑務所に職を求めた。そこは、入ってみると意外なほどの自由があった。医療刑務所での生活が長くなった。その理由のひとつは、当時の所長にあった。見識のある人だった。共に居たいひとだった。その所長が定年を向かえる時期が来た。所長が居ない場所には居る意味がなかった。私も身の振り方を考える必要があった。ふと思いついたのが開業だった。それまでに開業医というアイデアが、頭に浮かんだことはなかった。思いついてみると、そのアイデアに魅了された。組織やひとに気を遣うことがなく、..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
行き場を失って、医療刑務所に職を求めた。
そこは、入ってみると意外なほどの自由があった。
医療刑務所での生活が長くなった。
その理由のひとつは、当時の所長にあった。
見識のある人だった。
共に居たいひとだった。
その所長が定年を向かえる時期が来た。
所長が居ない場所には居る意味がなかった。
私も身の振り方を考える必要があった。
ふと思いついたのが開業だった。
それまでに開業医というアイデアが、頭に浮かんだことはなかった。
思いついてみると、そのアイデアに魅了された。
組織やひとに気を遣うことがなく、自分の責任において自由に仕事が出来る。
仕事と自由の両立！
そういう想念が浮かんできた。
頭に浮かんだその思いに魅せられた。
それ以外には考えられない名案だった。
開業資金の準備がなかった。
自宅を処分してそれにあてた。
何の躊躇も不安もなかった。
いそいそとことを運んでいた。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
行き場を失って、医療刑務所に職を求めた。<br />そこは、入ってみると意外なほどの自由があった。<br />医療刑務所での生活が長くなった。<br />その理由のひとつは、当時の所長にあった。<br />見識のある人だった。<br />共に居たいひとだった。<br />その所長が定年を向かえる時期が来た。<br />所長が居ない場所には居る意味がなかった。<br />私も身の振り方を考える必要があった。<br />ふと思いついたのが開業だった。<br />それまでに開業医というアイデアが、頭に浮かんだことはなかった。<br />思いついてみると、そのアイデアに魅了された。<br />組織やひとに気を遣うことがなく、自分の責任において自由に仕事が出来る。<br />仕事と自由の両立！<br />そういう想念が浮かんできた。<br />頭に浮かんだその思いに魅せられた。<br />それ以外には考えられない名案だった。<br />開業資金の準備がなかった。<br />自宅を処分してそれにあてた。<br />何の躊躇も不安もなかった。<br />いそいそとことを運んでいた。<br /><a name="more"></a>

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            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/502761698.html</link>
      <title>          私の生きざま　7</title>
      <pubDate>Sat, 23 Mar 2024 20:23:03 +0900</pubDate>
            <description>役所を辞めて、ある民間の精神病院の募集に応じた。　精神科であれば、「人間の問題」なので、とりたてて勉強をしなくてもやっていけそうな気がしていた。そこで数年間を過ごした。精神科医として生きていくには、そのままではまずいかと思うようになった。母校の精神科教室の教授にお願いして、入局させていただいた。入ってみると、その「教室」には自由の気風があった。それが有難かった。好きなようにやらせていただいた。私の幼児性が解発されてもいた。やがて医局長になった。しかし、「上に行くつもり」がなか..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
役所を辞めて、ある民間の精神病院の募集に応じた。　
精神科であれば、「人間の問題」なので、とりたてて勉強をしなくてもやっていけそうな気がしていた。
そこで数年間を過ごした。
精神科医として生きていくには、そのままではまずいかと思うようになった。
母校の精神科教室の教授にお願いして、入局させていただいた。
入ってみると、その「教室」には自由の気風があった。
それが有難かった。
好きなようにやらせていただいた。
私の幼児性が解発されてもいた。
やがて医局長になった。
しかし、「上に行くつもり」がなかった。
場所ふさぎになると思い、「外に出る」ことにした。
ある公的な「医療センター」に職を得た。
そこの施設長は「患者思い」と聞いていた。
しばらく経って、施設の全体を巻き込む騒ぎを引き起こす事態になった。
受け持ちの患者さん（Aさん）をめぐってのことである。
Aさんの振る舞いが、一部の職員に恐怖心を与えていた。
入院させよ、という騒ぎになった。
私はそれに従う気になれなかった。
精神病院への強制入院は、自由の具体的な拘束である。
その可否は、主治医の判断に委ねられるべきものである。
その主治医の判断力に疑問を呈せられた形である。
私は、自由の拘束にはひと一倍のアレルギーがあった。
Aさんが同意しないかぎり、入院をさせるわけにはいかなかった。
Aさんの代理人でもある私としては、下手な妥協は許されなかった。
数人のパラメディカルの職員の協力を得て、Aさんを「地域で支える」ことになった。
日常の仕事が終わってから「現地」にかけつける,といった日々がつづいた。
ある夜、10時過ぎに病院に戻ると、５人の医局員が待ち構えていた。
医局は私とは異なる大学の出身者で固められていた。
私は異邦人の感じを味わっていた。
それらの人たちに、私の「愚行」をやめるように説得された。
私には聞く耳がなかった。
組織としては厄介な人間だったと思う。
だが、私としても「組織」のいいなりになる理由がなかった。
しかし、ほどなく、Aさんがして欲しくないことをしてしまった。
やむなく、「我われの手」で入院させる羽目になった。
ことここに至っては、その職場に居座る鉄面皮はなかった。
合同送別会のとき、医局員のひとりがそばに来て、「尊敬している」といってくれた。
それが印象的だった。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
役所を辞めて、ある民間の精神病院の募集に応じた。　<br />精神科であれば、「人間の問題」なので、とりたてて勉強をしなくてもやっていけそうな気がしていた。<br />そこで数年間を過ごした。<br />精神科医として生きていくには、そのままではまずいかと思うようになった。<br />母校の精神科教室の教授にお願いして、入局させていただいた。<br />入ってみると、その「教室」には自由の気風があった。<br />それが有難かった。<br />好きなようにやらせていただいた。<br />私の幼児性が解発されてもいた。<br />やがて医局長になった。<br />しかし、「上に行くつもり」がなかった。<br />場所ふさぎになると思い、「外に出る」ことにした。<br />ある公的な「医療センター」に職を得た。<br />そこの施設長は「患者思い」と聞いていた。<br />しばらく経って、施設の全体を巻き込む騒ぎを引き起こす事態になった。<br />受け持ちの患者さん（Aさん）をめぐってのことである。<br />Aさんの振る舞いが、一部の職員に恐怖心を与えていた。<br />入院させよ、という騒ぎになった。<br />私はそれに従う気になれなかった。<br />精神病院への強制入院は、自由の具体的な拘束である。<br />その可否は、主治医の判断に委ねられるべきものである。<br />その主治医の判断力に疑問を呈せられた形である。<br />私は、自由の拘束にはひと一倍のアレルギーがあった。<br />Aさんが同意しないかぎり、入院をさせるわけにはいかなかった。<br />Aさんの代理人でもある私としては、下手な妥協は許されなかった。<br />数人のパラメディカルの職員の協力を得て、Aさんを「地域で支える」ことになった。<br />日常の仕事が終わってから「現地」にかけつける,といった日々がつづいた。<br />ある夜、10時過ぎに病院に戻ると、５人の医局員が待ち構えていた。<br />医局は私とは異なる大学の出身者で固められていた。<br />私は異邦人の感じを味わっていた。<br />それらの人たちに、私の「愚行」をやめるように説得された。<br />私には聞く耳がなかった。<br />組織としては厄介な人間だったと思う。<br />だが、私としても「組織」のいいなりになる理由がなかった。<br />しかし、ほどなく、Aさんがして欲しくないことをしてしまった。<br />やむなく、「我われの手」で入院させる羽目になった。<br />ことここに至っては、その職場に居座る鉄面皮はなかった。<br />合同送別会のとき、医局員のひとりがそばに来て、「尊敬している」といってくれた。<br />それが印象的だった。<br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/502524791.html</link>
      <title>           私の生きざま  6</title>
      <pubDate>Thu, 29 Feb 2024 19:22:16 +0900</pubDate>
            <description>このついでに思い出されるのは、役所に身を寄せたときのことである。おりしも、「東大解体、精神科医局解体」をスローガンにした「全共闘運動」が盛んだった。世間を揺るがす革命前夜の様相でもあった。現世の権威を打ち壊して、「自由のユートピア」に改編しようという試みだった。そうした折しも、あるクラスメイトが役所に訪ねてきた。用件は、役所を辞めて欲しい、ということだった。彼と私とは「役所」についての考え方が違っていた。国家権力を改変しようとする心意気の持ち主である彼は、国家権力の一角にある..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
このついでに思い出されるのは、役所に身を寄せたときのことである。
おりしも、「東大解体、精神科医局解体」をスローガンにした「全共闘運動」が盛んだった。
世間を揺るがす革命前夜の様相でもあった。
現世の権威を打ち壊して、「自由のユートピア」に改編しようという試みだった。
そうした折しも、あるクラスメイトが役所に訪ねてきた。
用件は、役所を辞めて欲しい、ということだった。
彼と私とは「役所」についての考え方が違っていた。
国家権力を改変しようとする心意気の持ち主である彼は、国家権力の一角にある役所を否定する立場にあった。
私はといえば、国家権力という強力なものに従順というよりは反意があるが、彼らのように具体的に行動する気にはなれない。
彼らに対して尊敬の念を持っているが、役所を辞めてどこかへ行くという気にはなれなかった。
そうした想いは理解されたように思っている。
それにからんで、何かの酒席で、全共闘のトップを勤めていたクラスメイトと隣り合ったときに、愉快な談笑にふけったのを想い出す。
彼は、彼らの思想に共鳴しない私を相手にしない、といった狭量のひとではなかった。
別のあるとき、クラスメィトのひとりと、大学の構内を歩いていて顔を合わせた。
彼とは若干の交友関係にあった。
そのとき彼は、私が「医局」ではなく、役所に身を寄せることの不快を言葉にした。
そして、「どこかの村長にでもなれるだろうよ」、と云い放って去って行った。
彼にとっては、「村長」は「大学教授」より、はるかに価値が劣るのだろう。
いわれて腹が立つた、というよりは、この男の度量の乏しさを想った。
ひとが自分と同じイロに染まらない者を包容できないこころには、自由の精神が薄い。
彼への友情、敬意の念が薄くなった。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
このついでに思い出されるのは、役所に身を寄せたときのことである。<br />おりしも、「東大解体、精神科医局解体」をスローガンにした「全共闘運動」が盛んだった。<br />世間を揺るがす革命前夜の様相でもあった。<br />現世の権威を打ち壊して、「自由のユートピア」に改編しようという試みだった。<br />そうした折しも、あるクラスメイトが役所に訪ねてきた。<br />用件は、役所を辞めて欲しい、ということだった。<br />彼と私とは「役所」についての考え方が違っていた。<br />国家権力を改変しようとする心意気の持ち主である彼は、国家権力の一角にある役所を否定する立場にあった。<br />私はといえば、国家権力という強力なものに従順というよりは反意があるが、彼らのように具体的に行動する気にはなれない。<br />彼らに対して尊敬の念を持っているが、役所を辞めてどこかへ行くという気にはなれなかった。<br />そうした想いは理解されたように思っている。<br />それにからんで、何かの酒席で、全共闘のトップを勤めていたクラスメイトと隣り合ったときに、愉快な談笑にふけったのを想い出す。<br />彼は、彼らの思想に共鳴しない私を相手にしない、といった狭量のひとではなかった。<br />別のあるとき、クラスメィトのひとりと、大学の構内を歩いていて顔を合わせた。<br />彼とは若干の交友関係にあった。<br />そのとき彼は、私が「医局」ではなく、役所に身を寄せることの不快を言葉にした。<br />そして、「どこかの村長にでもなれるだろうよ」、と云い放って去って行った。<br />彼にとっては、「村長」は「大学教授」より、はるかに価値が劣るのだろう。<br />いわれて腹が立つた、というよりは、この男の度量の乏しさを想った。<br />ひとが自分と同じイロに染まらない者を包容できないこころには、自由の精神が薄い。<br />彼への友情、敬意の念が薄くなった。<br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/502504238.html</link>
      <title>         私の生きざま　5</title>
      <pubDate>Tue, 27 Feb 2024 19:54:43 +0900</pubDate>
            <description>東京に出て予備校に入った。それは、貧しい家計の中からの精一杯の出費だったと思う。たまに送られてくる果物などを受け取るときに涙があふれた。その予備校では、「実力試験」が毎週あった。成績順に20人の名前が張り出された。その中には、聞きなれていた都内の有名校の名前が並んでいた。それが身近にあることが励みになった。やがて、私の名前もそこに載るようになった。一年の浪人生活を経て、目的の大学に入ることができた。最初の２年間は教養学部だった。望んで入った大学だが、その一員になってみると、日..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
東京に出て予備校に入った。
それは、貧しい家計の中からの精一杯の出費だったと思う。
たまに送られてくる果物などを受け取るときに涙があふれた。
その予備校では、「実力試験」が毎週あった。
成績順に20人の名前が張り出された。
その中には、聞きなれていた都内の有名校の名前が並んでいた。
それが身近にあることが励みになった。
やがて、私の名前もそこに載るようになった。
一年の浪人生活を経て、目的の大学に入ることができた。
最初の２年間は教養学部だった。
望んで入った大学だが、その一員になってみると、日常の世界はたちまち色あせていった。
毎日がつまらなかった。
与えられている世界に、私を入れる場所はないかのようだった。
思うに、「ひとと居たいよりは、自分と居たい人間」だった。
「自分の安住の地」は、世界中のどこにもないかのようだった。
何をするでもなく、無駄に時間が過ぎて行った。
ボンヤリ過ごすのが私のサガになっていた。
３年に上がるときに、専門学部を選ぶことになる。
行きたいところがなかった。
成績がよければ、まだしも選びようがあったが、成績もふるわなかった。
そういう中で医学部だけが選抜試験があった。
他の学部とは違って、普段の成績とは無関係に、試験に受かれば入ることができた。
闇夜の光だった。
それをするしかなかった。
考える余地はなかった。
一年間、がむしゃらに受験勉強をした。
何とか医学生になった。
そして４年が過ぎた。
医局を選ばなければならない時がきた。
だが、またしても、行きたいところがなかった。
ある役所に入ることにした。
役人になりたいわけではなかったが、興味はあった。
顰蹙をかうだろうが、覗いてみようと思った。
最初から３年で辞めると決めていた。
仕事らしいことは何もしない不良役人だった。
その３年が過ぎて辞表を出したとき、意外なことに慰留された。
バラ色の将来を語り聞かされた。
だが、無能な役人のままでそこに居座る意味はなかった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
東京に出て予備校に入った。<br />それは、貧しい家計の中からの精一杯の出費だったと思う。<br />たまに送られてくる果物などを受け取るときに涙があふれた。<br />その予備校では、「実力試験」が毎週あった。<br />成績順に20人の名前が張り出された。<br />その中には、聞きなれていた都内の有名校の名前が並んでいた。<br />それが身近にあることが励みになった。<br />やがて、私の名前もそこに載るようになった。<br />一年の浪人生活を経て、目的の大学に入ることができた。<br />最初の２年間は教養学部だった。<br />望んで入った大学だが、その一員になってみると、日常の世界はたちまち色あせていった。<br />毎日がつまらなかった。<br />与えられている世界に、私を入れる場所はないかのようだった。<br />思うに、「ひとと居たいよりは、自分と居たい人間」だった。<br />「自分の安住の地」は、世界中のどこにもないかのようだった。<br />何をするでもなく、無駄に時間が過ぎて行った。<br />ボンヤリ過ごすのが私のサガになっていた。<br />３年に上がるときに、専門学部を選ぶことになる。<br />行きたいところがなかった。<br />成績がよければ、まだしも選びようがあったが、成績もふるわなかった。<br />そういう中で医学部だけが選抜試験があった。<br />他の学部とは違って、普段の成績とは無関係に、試験に受かれば入ることができた。<br />闇夜の光だった。<br />それをするしかなかった。<br />考える余地はなかった。<br />一年間、がむしゃらに受験勉強をした。<br />何とか医学生になった。<br />そして４年が過ぎた。<br />医局を選ばなければならない時がきた。<br />だが、またしても、行きたいところがなかった。<br />ある役所に入ることにした。<br />役人になりたいわけではなかったが、興味はあった。<br />顰蹙をかうだろうが、覗いてみようと思った。<br />最初から３年で辞めると決めていた。<br />仕事らしいことは何もしない不良役人だった。<br />その３年が過ぎて辞表を出したとき、意外なことに慰留された。<br />バラ色の将来を語り聞かされた。<br />だが、無能な役人のままでそこに居座る意味はなかった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/502504238</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/502504228.html</link>
      <title>           私の生きざま　4</title>
      <pubDate>Tue, 27 Feb 2024 19:53:44 +0900</pubDate>
            <description>山あいの中学を卒業して、旭川市の高校へ進んだ田舎で育った私は、都会への憧れが強かった。都会に出ると、新たな出会いが待っているように思えた。高校に入学して間もなく、「実力試験」があった。100番目までの名前が廊下に張り出された。その中に私の名前がなかった。それは、さすがにショッキングな出来事だった。自己否定の坂道を転げ落ちるような思いだった。孤独の哀しみと不安とに囚えられた。それでも、巻き返しの思いが、こころの奥底から秘かに湧き上がってくるのを感じていた。大学は東大と内心で決め..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
山あいの中学を卒業して、旭川市の高校へ進んだ
田舎で育った私は、都会への憧れが強かった。
都会に出ると、新たな出会いが待っているように思えた。
高校に入学して間もなく、「実力試験」があった。
100番目までの名前が廊下に張り出された。
その中に私の名前がなかった。
それは、さすがにショッキングな出来事だった。
自己否定の坂道を転げ落ちるような思いだった。
孤独の哀しみと不安とに囚えられた。
それでも、巻き返しの思いが、こころの奥底から秘かに湧き上がってくるのを感じていた。
大学は東大と内心で決めていた。
卒業するまで「無名」だったが、当時の私には、東大だけがキラ星のように光って見えていた。
そこに入ることが、社会に認められる唯一の途に思えていた。
それが不首尾に終わるとすれば、社会的に葬られることを意味してもいた。
だが、妥協する余地はなかった。
母親にだけ、その思いを伝えた。
母親の返事は「高望みはしないで」だった。
「やれば出来るよ」といって欲しかった。
<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
山あいの中学を卒業して、旭川市の高校へ進んだ<br />田舎で育った私は、都会への憧れが強かった。<br />都会に出ると、新たな出会いが待っているように思えた。<br />高校に入学して間もなく、「実力試験」があった。<br />100番目までの名前が廊下に張り出された。<br />その中に私の名前がなかった。<br />それは、さすがにショッキングな出来事だった。<br />自己否定の坂道を転げ落ちるような思いだった。<br />孤独の哀しみと不安とに囚えられた。<br />それでも、巻き返しの思いが、こころの奥底から秘かに湧き上がってくるのを感じていた。<br />大学は東大と内心で決めていた。<br />卒業するまで「無名」だったが、当時の私には、東大だけがキラ星のように光って見えていた。<br />そこに入ることが、社会に認められる唯一の途に思えていた。<br />それが不首尾に終わるとすれば、社会的に葬られることを意味してもいた。<br />だが、妥協する余地はなかった。<br />母親にだけ、その思いを伝えた。<br />母親の返事は「高望みはしないで」だった。<br />「やれば出来るよ」といって欲しかった。<br /><a name="more"></a>

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            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,ookouchi/502504228</guid>
                </item>
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      <link>https://ookouchi.seesaa.net/article/502504227.html</link>
      <title>         私の生きざま　3</title>
      <pubDate>Tue, 27 Feb 2024 19:52:52 +0900</pubDate>
            <description>父親は教師だった。田舎周りの転勤が多かった。それに伴って私も転校した。私は転校が好きだった。私には「こころのふるさと」がなかったからである。見知らぬ所に行けば、新しい世界が開けるような期待があった。最初の転校は小学校４年生のときである。転校した先は山あいの「部落」だった。子供が少ないので、ふた学年で一クラスの複式学級であった。田んぼや畑に囲まれた小さな校舎だった。その「田舎の学校」では、いっぱしの野球少年だった。昼休みなどに校庭で野球をして遊んだ。夜になると地元の「名士」が集..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
父親は教師だった。
田舎周りの転勤が多かった。
それに伴って私も転校した。
私は転校が好きだった。
私には「こころのふるさと」がなかったからである。
見知らぬ所に行けば、新しい世界が開けるような期待があった。
最初の転校は小学校４年生のときである。
転校した先は山あいの「部落」だった。
子供が少ないので、ふた学年で一クラスの複式学級であった。
田んぼや畑に囲まれた小さな校舎だった。
その「田舎の学校」では、いっぱしの野球少年だった。
昼休みなどに校庭で野球をして遊んだ。
夜になると地元の「名士」が集まってきた。
「校長の住まい」が酒盛りの場になっていた。
酔っぱらった大人たちの様子を、部屋の片隅で見て過ごすのが習いだった。
大人たちの酔狂に惹かれて、呑み残しの酒を口にしたことがあった。
ひどくまずかったが、酔って己を消している姿は、後々の私の姿でもあった。
酒盛りがない夜は両親は、麻雀をするのが習いだった。
面子が足りないときは私に声がかかった。
そのときの母親の声は優し気だったが、有難くないご指名だった。
強いられた麻雀は少しも愉しくなかった。
<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
父親は教師だった。<br />田舎周りの転勤が多かった。<br />それに伴って私も転校した。<br />私は転校が好きだった。<br />私には「こころのふるさと」がなかったからである。<br />見知らぬ所に行けば、新しい世界が開けるような期待があった。<br />最初の転校は小学校４年生のときである。<br />転校した先は山あいの「部落」だった。<br />子供が少ないので、ふた学年で一クラスの複式学級であった。<br />田んぼや畑に囲まれた小さな校舎だった。<br />その「田舎の学校」では、いっぱしの野球少年だった。<br />昼休みなどに校庭で野球をして遊んだ。<br />夜になると地元の「名士」が集まってきた。<br />「校長の住まい」が酒盛りの場になっていた。<br />酔っぱらった大人たちの様子を、部屋の片隅で見て過ごすのが習いだった。<br />大人たちの酔狂に惹かれて、呑み残しの酒を口にしたことがあった。<br />ひどくまずかったが、酔って己を消している姿は、後々の私の姿でもあった。<br />酒盛りがない夜は両親は、麻雀をするのが習いだった。<br />面子が足りないときは私に声がかかった。<br />そのときの母親の声は優し気だったが、有難くないご指名だった。<br />強いられた麻雀は少しも愉しくなかった。<br /><a name="more"></a>

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            <category>未分類</category>
      <author>院長先生</author>
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