愚考録 1 蜘蛛と人間1
「家の軒先にかかった蜘蛛の巣を払ったものかどうか迷っている、どう思うか」、と訊かれたことがある。
その人、Aさんは、蜘蛛の折角の仕事を、人間のつごうで台無しにしてよいものだろうか、それは人間の驕りではないだろうかと考えていた。
これは、解き難い矛盾をはらんだ難問のように見える。
蜘蛛の仕事を尊重すると、蜘蛛の巣だらけの家になる。
近所のひとに奇異の眼で見られるだろう。
気味悪がられて、誰も近づかなくなるに違いない。
だから、ほとんどの人は、蜘蛛を払い取るだろう。
私もそうしている。
だが、確かに蜘蛛にも立場がある。
たかが蜘蛛をと思うだろうが、蜘蛛にも立ち場がある。
そうした想いは「囚われている」のか、「判断している」のかが分かれ目である。
私はそう想う。
その人、Aさんは、蜘蛛の折角の仕事を、人間のつごうで台無しにしてよいものだろうか、それは人間の驕りではないだろうかと考えていた。
これは、解き難い矛盾をはらんだ難問のように見える。
蜘蛛の仕事を尊重すると、蜘蛛の巣だらけの家になる。
近所のひとに奇異の眼で見られるだろう。
気味悪がられて、誰も近づかなくなるに違いない。
だから、ほとんどの人は、蜘蛛を払い取るだろう。
私もそうしている。
だが、確かに蜘蛛にも立場がある。
たかが蜘蛛をと思うだろうが、蜘蛛にも立ち場がある。
そうした想いは「囚われている」のか、「判断している」のかが分かれ目である。
私はそう想う。
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